ミスドにはどんな歴史がある?
アメリカのミスドが日本でここまで人気になった理由は?
アメリカを代表するファストフードであるドーナツのお店として日本でも人気の高いミスタードーナツ、通称ミスド。
1971年にアメリカから日本に輸入されて以来、今では店舗数は1000に届くほどの日本の一大チェーン店に成長しました。
親しみのあるお店の歴史ってふと気になりますよね。
この記事では日本のミスドの歴史とその人気の理由に迫ります。
そして現在アメリカにはミスドが1店舗しかないという衝撃の事実にも触れてしまいますよ。
この記事を読めばミスドのドーナツが食べたくなるかも?
日本のミスドの歴史ー始まりー
1970年:ダスキンがミスタードーナツの権利を購入
1970年にダスキンの創業者・鈴木清一が本家アメリカのミスタードーナツ創始者・ハリー・ウィノカーからフランチャイズ権を購入したことから日本のミスドの歴史はスタートしました。
ちょうど同じ年には大阪万博も開かれ、日本がアメリカのような大国に肩を並べるために頑張っていた時代。
マクドナルドの日本上陸も1971年なので、この頃日本にファストフードの波が押し寄せていたんですね。
他の国の文化をまだ多くの日本人が知らない中、万博によって世界に目が向き始めたことも良いきっかけになったかもしれません。
掃除の会社がなぜドーナツ販売?
意外なことに、ミスドの経営会社はお掃除の会社・ダスキンなんです。
ダスキンの創業者・鈴木清一は、本場のフランチャイズについて学ぶため渡米していた時、ミスタードーナツの創始者と出会い、日本でのフランチャイズをオファーされて悩んだ挙句契約に踏み切りました。
最初から契約するつもりで渡米したわけではないというのが面白いですよね。
ドーナツの美味しさと経営理念に促され、日本で展開するために莫大な契約金を払って一世一代の勝負に出たのでした。
鈴木さんがフランチャイズ権を買ってくれていなかったら今頃日本で美味しいドーナツにありつけなかったかも、と思うとこの契約はありがたいです(笑)
1971年:一号店大阪・箕面ショップ開店
フランチャイズ契約から1年後の1971年、大阪箕面のダイエーの一角に記念すべき第一号店がオープンします。
当時非常に珍しい24時間営業をかかげ、いつでも出来立てのドーナツを食べてもらえるお店として華々しくスタートしました。
この頃食品輸入には厳しい制限があり、アメリカの材料を使うことができませんでした。
そのため本場から送られたサンプルをもとに、日本国内で同じような材料を提供できるメーカーを探して本場のドーナツを再現したそうです。
涙ぐましい努力です!
1974年:ゴブリン(オリジナルキャラクター)誕生
今や幻となったキャラクターですが、創業当時のミスドにはオバケのゴブリンというオリジナルキャラクターがいました。
いかにもアメリカのコミック風の味があるキャラクターなので、当時の日本人にどれほど受け入れられたかわからないですが...。
これ以降ミスドではオリジナルキャラクターを利用したグッズやオリジナルグッズを打ち出してキャンペーンをすることが多くなりました。
子供たちにも受け入れられるように工夫してきたことがうかがえますね。
今だったらコレクターが泣いて喜びそうなグッズたちです。
日本のミスドの歴史ー成長期ー
1984年:パイ・マフィン類を販売開始
ドーナツだけではない軽食のメニューとして1984年から加わったのが、パイやマフィンなどのスナック類です。
圧倒的に甘い味のメニューが多かったミスドですが、この時からしょっぱい系のスナックを打ち出し始めました。
ウインナーやミートソースを挟んだパイなども販売されるようになり、おやつよりも軽い食事のような位置付けがされるようになってきます。
ちなみに私はエビグラタンパイが好きで、冬場は特に食べたくなります(笑)
きっとミスドのスナック系のパイが好きという人も多いのでは?
1986年:CMに有名人を採用
1986年にCMに採用されたのはタレントの所ジョージさんです。
この時から有名人を積極的にCMに採用し、どんどんとミスドの名前とメニューを売り込む時代になっていきました。
相武紗季さんのCMを覚えているという人も多いかもしれないですね。
80年代から90年代は、有名人のイメージと相乗効果でドーナツが売れる時代になっていきました。
1992年:「ミスター飲茶」販売開始
1992年に日本のオリジナルメニューとして登場したのが、「ミスター飲茶」シリーズです。
ドーナツ屋さんという常識をくつがえし、まさかの中華を販売し始めるという大胆な路線がヒット!
ドーナツの本場・アメリカの雰囲気を壊さないよう、サンフランシスコのチャイナタウンのイメージを持ってきたのも成功ポイントだったかもしれませんね。
今でも定番の飲茶シリーズはお昼ご飯にもちょうどよく、ミスドで食事もいいかも、と思えるようになりました。
日本のミスドの歴史ー2000年代ー
2003年「ポン・デ・リング」販売開始
日本のミスドを代表するメニューといえば、ポン・デ・リング。
2003年の発売以来、今でも季節には限定フレーバーを登場させながら、レギュラーメニューとして活躍しています。
外側がさっくりとして中がもちもちの食感がたまらないですよね!
甘さ控えめなところも日本人の心を捉えたのかもしれません。
海外の人からも評判が高く、日本のドーナツとして人気があるようですよ。
2007年:低トランス脂肪酸オイルを導入
食品の安全性が注目を浴びるようになり、ファストフード食品が何かと問題視されるようになった2000年代。
安全な食事を期待する人たちの意識に合わせて、ミスドでも2007年からは低トランス脂肪酸オイルを全店で導入しています。
糖尿病などのリスクが高まるトランス脂肪酸をできるだけ低く、なおかつ今までのドーナツの美味しさを保つバランスのいいオイルが開発されました。
なんだかいいオイルのようなので、このオイルを購入したいくらいです(笑)
時代のニーズに応えていくのも人気が続く秘訣かもしれませんね。
アメリカのミスドの歴史
ミスドが誕生したのは1955年、アメリカのボストンです。
創業者・ハリー・ウィノカーは、アメリカでは有名なドーナツチェーン、ダンキンドーナツの創業者・ウィリアム・ローゼンバーグの親戚でしたが、経営方針の違いから独立して店を開きます。
ミスドのロゴサインであるひげを生やしたコックさんのデザインは、創業者が考案したものだそうですよ。
今ではレトロな感じが逆に可愛く感じますね。
今アメリカにミスドは1店舗しかない?!
ミスドが日本でここまで人気になっているので、本場アメリカではさぞ有名なのではと思っていたら、なんとミスドはすでにアメリカでは消滅してしまっているとのこと!
ミスド創業者と親族かつライバル関係にあったダンキンドーナツ(Dunkin' Donuts)に買収され、現在はミスタードーナツのロゴは見られなくなってしまいました。
そういえば海外の空港でダンキンドーナツをよく見かけましたが、日本でいうところのミスド的なお店だったんですね。
現在はイリノイ州ゴドフリーにたった1店舗だけミスタードーナツを掲げる店舗が残っています。
ミスド本家がなくなってしまった今、日本では頑張って生き残って欲しいものですね。
日本ミスドは創業から50年以上!
2020年:一号店箕面ショップを創業当時風にリニューアル
日本のミスドは2020年に記念すべき創業50周年を迎えました。
その記念として、歴史に残る第一号店である大阪箕面ショップを全面リニューアル、創業当時の雰囲気を再現した内外装が話題を集めています。
今ではレトロな雰囲気が逆にオシャレに感じるような裸電球の外看板や、オレンジ色で統一されたポップな内装が非日常感があっていい感じです。
もし近場であれば、一号店を訪ねて創業当時に思いをはせながらドーナツをいただく、というのもなかなかロマンチックですよ。
創業当時から変わらないメニューも楽しめる
残念ながら本場アメリカのミスドはすでに消滅していますが、日本では創業当時からアメリカから受け継がれたメニューが今でも販売されています。
例えば、ホイップクリームがたくさん詰まったふわふわな定番デザート「エンゼルクリーム」。
創業当時の販売価格はなんと40円、今との物価の違いをに歴史を実感します...。
昔から変わらないメニューでもリニューアルが繰り返され、今の人たちが食べても美味しいと感じるメニューに進化しているので、いつでも美味しいと思えるのもチェーン店の魅力ですね。
ミスドのドーナツで楽しいおやつタイムを!
アメリカから70年代に上陸し、今では日本国内で約1000店舗、アジアを中心とする海外では7000店舗展開される一大ドーナツチェーン、ミスタードーナツ。
アメリカではすでになくなっているミスドですが、日本では日本人の心を捉えるメニュー展開と広告戦略で着実に成長を遂げてきました。
日本には他にドーナツ専門のライバルとなるような店舗がないというのも成長できた理由になるかもしれませんね。
とはいえ日本ではアメリカほどドーナツが一般的ではないので、この先ミスドがずっと経営を維持していくのも時代のニーズに応え続ける努力が必要でしょう。
そんな難しい経営の話はともかく、ミスドの美味しいドーナツでおやつや軽食タイムを楽しく過ごしてくださいね。