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きんつばの名前の由来は?昔は丸い形だったって本当?

和菓子の代表格といえる【きんつば】。

たっぷりの餡をもちっとした生地で包んであり、つるっとした手触りで同じ餡子でもおはぎや大福より食べやすい印象です。

ところで、何故あのお菓子がきんつばと呼ばれるのでしょうか?

お菓子の見た目よりちょっと強い響きですよね。

アンサーは次の章にすぐ書きますので、チェックして下さい♪

きんつばと呼ばれ始めた頃、きんつばは今私達が馴染のある四角ではありませんでした。

何故四角いフォルムになったのか、当時のきんつばと同じ形のものを販売しているお店など紹介していきますので、気になる方は是非最後までお付き合い下さい。

きんつばの名前の由来

元々は大阪で考案された菓子であり、上新粉(米粉)で作った生地で餡を包んで同様に焼いたものであった。当時は、その形状と色から「ぎんつば(銀鍔)」と呼ばれていた。1600代後半に製法が大阪から江戸に伝わると「銀よりも金のほうが景気が良い」との理由から、名前が「きんつば」に変わったとされている。

Wikipediaから引用

当時のきんつばは丸い形をしていました。

上新粉の生地と丸い形が刀の鍔(日本刀の持ち手部分と刃先をつなぎさやに収める時の留め具ともなるもの)に似ている所から【ぎんつば/銀鍔】と呼ばれ、のちに銀より金のが良いとされ、『きんつば/金鍔』となりました。

銀鍔から金鍔になったのには諸説ありますが、

  • 金の方が縁起が良い
  • 京都の銀貨幣文化と違い、江戸では金貨幣が主流だったので金つばに名前を変えた

この2説が有力といわれています。恵那川上屋HP参考)

きんつばは何故四角くなったのか

当時は丸い形をしていたきんつば、何故四角になったのでしょうか?

まず、西から東へきんつばが伝わった際に、表面の生地が上新粉から小麦粉に変わりました。

  • 小麦粉の生地を焼き付けるのに、丸より四角のが加工しやすく、量産しやすい
  • お土産として箱に詰める際、四角のがきちっと並び上品で無駄がない

こちらも所説ありますが、まとめると効率的に沢山販売できるように変化していったようです。

最初に四角のきんつばを作ったのは?

江戸で流行していた丸型の江戸きんつばを最初に四角に改良したのは、神戸元町の本高砂屋(旧:梅花堂)の初代:杉田太吉です。

当時のこだわりのままの高砂きんつばを現代でも購入することができますので、気になる方は是非チェックしてください♪

本高砂屋HPより参照

★☆本高砂屋さんのHPはこちら☆★

丸いきんつばを販売しているお店

和菓子屋さんやコンビニなどでは四角のきんつばをよく見かけますが、現代でも丸いきんつばを販売しているお店があります。

その中から有名な老舗を2店舗ご紹介します。

お菓子の紅梅

お菓子の紅梅HPより参照

「刀は備前、鍔は肥後」肥後の金工が作る刀の鍔は、サムライたちがあこがれた、最高のおしゃれでした。プロデューサーは利休七哲の筆頭格、細川三斎公です。「きんつば」は、刀の鍔からその名がついた、江戸時代から続く伝統の和菓子。多くは六面焼きの四角形ですが、香梅庵の「肥後鍔」は、まるい三面焼きのきんつばです。

お菓子の紅梅HPより引用

趣のある約400年前に京都御苑の八条宮家(のちの桂宮家)の中に建てられた、『古今伝授之間』と隣接した茶屋でお抹茶とお茶菓子を楽しむことができます。

榮太樓總本鋪

江戸時代に日本橋のたもとの屋台で焼いていたきんつば。

創業より変わらない技法と伝統を受けづぎ、刀の鍔の形から命名された通りの丸い形を守っています。

季節限定で、ずんたの金鍔も販売していますよ♪

榮太樓總本鋪オンラインHPより参照

★☆榮太樓總本鋪オンラインショップはこちらからどうぞ☆★

まとめ

金鍔の名前の由来は刀の鍔からでしたね。

丸い形から四角になったのは効率的に沢山販売する為のようです。

全国には形問わず色々な味の金鍔が販売されています。

これを機に、食べくらべしてみるのも面白いですね♪

ちなみに、帽子のつばも、刀の鍔から由来しているそうですよ(*^_^*)

最後まで読んでいただき、有難うございました!

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naririnrin

和菓子、洋菓子アイス全般、スィーツ大好きです! 特に大福やチョコパイ、生クリームに目がないです。 少しでも皆様のお役に立てる記事が書けるよう頑張りますので、宜しくお願いします。

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